線維筋痛症資料書庫

線維筋痛症を難病指定に!

患者手記①-2 ~なりたくなかった「線維筋痛症」という悲惨な病気~

~なりたくなかった「線維筋痛症」という悲惨な病気~

私は幼少期から虚弱で過敏なアレルギー体質でした。
免疫が弱く体調不良なのが当たり前で、アトピー性皮膚炎や小児喘息、中耳炎、扁桃腺による高熱は慢性化していて、ひきつけによって2回生死をさ迷い、頻繁に通院し服薬や点滴などの治療をしていました。

小学生の頃から倦怠感や痛みがありましたが、物心がついた時からそうだったので、そういう体質なんだろうなと思いこんでいました。

ところがある日を境に、私の体は激変し地獄が始まります。突然右手に強い電流が流れるような激痛がはしり、ペンすら握れなくなりました。その事がきっかけで、さすがにこれはおかしいと詳しい検査や治療をする為、通院し始めました。

 

初めに整形外科を受診し、手首の腫れもあった為、痛み止めと湿布を処方され、リウマチの検査の予約をしました。ですがその後高熱を出し、痛みは右手から徐々に範囲が拡がっていき、怖くなり検査前に受診すると、医師から膠原病かもしれない、うちでは治療できないから紹介状を書くねと言われ、転院する事に。

リウマチは知人に患者がいる為知っていましたが、膠原病?なんだそれ?とネットサーフィンをし情報収集をしました。右手から始まった突然の激痛は、わずか1週間で両腕と両足にまで拡がり、ステロイドの痛み止めは効果なく、副作用で中止になり不安でいっぱいでした。

新たにリウマチ膠原病内科を受診し、ありとあらゆる検査をするも原因はわからず、経過観察で副作用の弱いステロイド薬などを服用し続けました。病名もわからず、検査や効果のない薬による高額な医療費がかかり、一体自分の体に何が起きているのか、どうしたらよいのかわからぬまま時が過ぎていきました。

その間にも体の痛みは全身の筋肉や骨、内臓や神経、あらゆる箇所にまで拡がり、整形外科や内科、呼吸器内科、循環器内科、消化器内科、神経内科、脳神経内科、口腔外科、眼科、皮膚科、精神科、心療内科などでもあらゆる検査や投薬をする事に。次から次に起きる異変と、肝心の痛みの原因が不明なまま、不安な日々を過ごしていました。

大量の投薬により薬疹や気管支喘息が悪化した為、痛み止めの投与は慎重になり、痛み以外の多彩な症状も悪化し続け、多数の病気を発症しました。これが後に線維筋痛症の合併症だと判明します。この時点では主症状である痛みは、原因不明なまま経過観察でした。

主治医はリウマチや膠原病を得意とする医師でしたが頼りにならない!何としても原因を見つけなきゃ!と必死に情報収集を続け、ふと目に入った「線維筋痛症」という病名を調べていくうちに、症状が完全に一致していて、これだ!と思い主治医にその事を告げると、確かに他に当てはまるものは無い、他の疾患は線維筋痛症の合併症や随伴症状によるものだと判明し、そこでやっと「線維筋痛症」という病名がつきました。

家庭事情が複雑すぎたのもあり、線維筋痛症を発症したのは、おそらくそれが引き金だと知りました。
やっと病名がついたことで安心し号泣しました。
ですがその先に待ち受ける、更なる困難があるとは、この時はまだ思いもよりませんでした。病名がわかればそれを治療すれば良くなると、甘くみていました。

そうして線維筋痛症の治療や服薬を始めるも、拒絶反応や副作用に苦しみ、効果は全くありませんでした。自分に合う薬を見つけ、痛みをコントロールすることが大切な線維筋痛症という病気にとって、それは希望を失う事になります。

痛みは悪化し続け、実験台のように薬漬けにされ、高額な医療費の為に体にむちを打って働くも全く改善せず、体を酷使し悪化する。主治医もこれ以上の治療は不可能とお手上げになり、そこからドクターショッピングが始まりました。

目に見えない疾患である為周囲に理解されず、自分でもどうしようもない不安と絶望から精神が壊れていく。働けなくなり経済困難に陥るも、高額な医療費は増え続ける。

痛みとしびれや痙攣などの神経症状に加え、不安で眠れない日々が続くようになり、眠剤依存により意識は朦朧とし、何の為に生きているのか、このまま死ねたらこの苦しみから解放されるのか、などの気持ちを抱くようになり、未遂もしましたが死ねませんでした。

線維筋痛症学会の参加医療機関やあらゆる病院にカルテを開示するも、受診拒否で受け入れてもらえず、線維筋痛症を得意とする鍼灸指圧を行っている先生のもとへ駆け込みました。そこで初めて心に寄り添った治療をしてもらえました。

学会の参加医だった事もあり、通常の鍼灸指圧治療に加え、私専用の通電治療をし学会にデータを提出する流れになっていました。ですが残念ながら効果はなく、治療は中断しました。

そこで再びドクターショッピングをしていくうちに、厚生労働省のプロジェクトである痛みセンターを発見し、何とか受け入れてもらえるも、線維筋痛症は専門ではないと判明。

しかし他に受け入れ先もなく、既に疾患はこじらせてしまっている上に、使用出来る薬の制限もあり、薬物療法は気休めのみの最小限に抑え、リハビリ療法が主な治療となりました。

それから週2回のリハビリ通院で様子見となったものの、回復の兆しはなく寝たきりになるのを遅らせる方法しか残されておらず、他に何か手段はないのものかと自分なりにできる事は取り入れましたが、何も改善されぬまま新型コロナウイルスの蔓延により、リハビリ治療は中止となりました。

そして随伴症状の微熱により、やっとの思いで病院に到着しても入口の検温で引っかかり、受診不可能で薬の処方もされないという期間が半年間も続きました。

線維筋痛症は単に痛みのみの疾患と思われがちな為、随伴症状の微熱はこのコロナ禍において死活問題になります。急激な断薬には大きなリスクもあり、対処療法すら出来なければ悪化の一途を辿るのは目に見えています。

コロナワクチン接種において優先とされる基礎疾患もにも当てはまらず、線維筋痛症の随伴症状である微熱が、コロナウイルスと誤認され接種出来ない事態になることもあり得ると思います。このような状況は絶対に避けなければなりません。


治療法のない線維筋痛症患者がコロナウイルスに感染し重症化した場合、医療機関が受け入を拒否する可能性は高いと思われます。

 

一体いつまでこの地獄のような毎日を過ごせば良いのでしょうか。国が何もしてくれない間にも症状は進んでいきます。


現在のコロナ禍により医療はひっ迫と連日報道されていますが、線維筋痛症などの指定難病になっていない難病患者からしてみると、現代の医学においても治療法や効果的な治療薬はなく、最終的に日常生活すら不可能になるにも関わらず、指定難病ではない為に、何の保障やサービスも受けられない深刻な医療福祉の崩壊状態はコロナ禍以前から始まっていました。

年中無休で全身の筋肉や骨、神経や内臓にまで激痛がはしり、全身に多彩な随伴症状や多数の合併症に苦しみ、我慢するしかない日々。あなたは耐えられますか?あなたの大切な人や家族がこうなってしまったら…
当事者だからこそわかるリアルを発信し、この悲惨な現状を変える為にも、線維筋痛症を指定難病にする必要があるのです。

沢山の方にこの声が届きますように…

これ以上の犠牲者を出さない為にも、私は自分自身や仲間達、未来の為に活動し続けます。そうしなければ何も変わりません。1日も早く現状が変わるよう奮闘していきます。

 

ちゃろ